土木技研 技術チーム 佐藤亜矢子さん(上)
橋梁技術者として、最初の仕事が印象深い。
民間会社の採石場入口に架けるPC新設橋の設計。同時に、既設鋼橋の補修に加えて水道施設と電柱の移設、道路拡幅もあった。「施工業者3者を交えた協議など、盛りだくさんの業務だった」と振り返る。
「PC橋の架設工法をピーエス三菱(当時)さん、構内道路のコンクリート舗装の目地の入れ方は世紀東急工業さんに教えてもらった」。面白くて、難しくて、夢中で取り組んだ。「仕事が形になって、うれしかった」。
「岩手県内で」意気込んだが
ここに来るまで、遠い道のりだった。
青森県生まれ。県庁で建築部門を担当した父の姿を見て育った。いつしか土木技術者を志すように。岩手大学と大学院で、地下計測学などを中心に学んだ。
初仕事のPC橋 開通式迎えたが
「いざ、岩手県内で技術者に」
そう意気込んだが、橋梁界はまだ女性の門戸が狭く、望んだ職にはつけなかった。
学生時代からの塾講師のアルバイトを続けた。26歳で結婚。夫は教員で、その転勤に合わせて県内の一関市、中国・上海の日本人学校に3年ずつ、再び一関を経て盛岡市に戻った。
「何か、私も仕事をしたい」。そう願って探した先にたどり着いたのが、橋梁設計で県内トップの「土木技研」(同市、佐藤悟社長)。職種は、資料整理のパートだった。
働き始めて半年後のこと。経歴と働きぶりを、当時の上司・櫻田和志課長(現・次長)が高く評価し、正社員登用を推薦してくれた。
「こんな幸運が」。待ち望んでいた橋梁技術者である。最初の仕事に、どれほど打ち込んだことか。
しかし、採石場入口のPC橋開通式には参加できなかった。待望の第1子出産と重なったのである。
(橋梁通信5月15日付掲載、(下)は6月1日付に)


